HIRO T'S DIARY
● 2月の日記 ●

2月1日(水曜日)「朝がたのしい」

毎朝午前3時5分に起床。
番組は早いスタートだけど、それにしても早すぎる。
理由は簡単。低血圧なのでしっかり目覚めるのに時間がかかるからなのだ。
(医者にはいつも正常ですと言われるのだが、彼らの言うことよりボクはボク自身を信じているからやっぱりどうしても低血圧なのだ。)

さて早起きの理由はこれでOKなんだが、その後何をしているかというと朝食のコーンフレークやサンドイッチを食べながらリビングでぼんやりと時間を過ごすのである。

BSではノンストップニュースが放映されていてそれは殆ど既に昨晩寝る前に知ったニュースの繰り返しなのだがそれでも朝の番組に反映出来るかもしれぬと努力を欠かさないあたり、立派だ。

しかしある日突然ニュース番組が打ち切られて大騒ぎのテレビショッピングに変わった。
こんな未明に視聴率なんて稼げるわきゃないのに、それでもニュースとテレビショッピングを天秤にかけるとどうやら後者の方が重いらしい。ショックで泣いた。ブルータスよ、お前もかと泣いた。

オロオロと3日3晩泣いた後にふと我に返り、そこで初めてビデオデッキくんのことを思い出した。
彼はテレビ台の下で以前と変わらずひっそりと佇んでいた。「こんなに長い間おっぽらかして、っとにごめんね。」と言いながらシルバーメタリックの肌を撫でてあげたら埃が手にへばりついた。

「きっと辛かったんだろうね、もうこんな目にはあわせないかんね。」と早速就寝後に放映される バラエティを録画予約した。それから毎朝我が家のリビングからは「ククク、ククク」とボクの忍び笑いが絶えることがない。

「そんなんでええん?そんな低俗番組で笑っててええん?」と自問自答してみたが、「笑顔」が英気を養うという理由で自問自答は速攻却下された。

灯台下暗し。
このビデオの効能に気づかなければ早朝の我が家のリビングは今も暗黒時代だったかも。
この快挙を「寺平の意識改革における夜明け」と名づけようとしたら、もともと「夜明け」だった。

2月2日(木曜日)「逆襲」

ものすごい不快感だ。
それが何かは判らないけどさっきから神経を逆撫でされ続けている。

しばらくしてそれが目覚ましのビビ、ビビッという強烈な音量の電子音であることに気づいた。
「なんで君はいっつもそんなにギャーギャーわめくんだ!っとに、ったく!」と思いながら 仮ストップボタンを押す。まだ眠い。9分後にまた起こしてもらうために完全に止まるスイッチに 手を触れず仮ストップボタンだけを押すあたり脳みそも若干の分別だけは残しているようだ。 次の電子音がわめき出すまでもうちょっとだけ眠ることにした。が、その1分後に再び電子音に たたき起こされる。9分後に鳴るんじゃないのって確認すると確かにさっきの警告から9分 経っている。信じられない。誰かが意図してボクの安眠をかき乱しているとしか思えない。

「やっぱ昨日の最後1杯の焼酎ロックはやめておくべきだったかなあ。」

。。。。。。

と、髪の毛ボサボサでベッドの端っこに起きあがり、うすぼんやりした頭で考えながら俺をジッと 見つめているのが俺の所有者である寺平だ。

ん?俺? 寺平ん家の目覚まし。かれこれ10年ここにいる。
俺たちが人の心を読めるのも知らずに、ほぼ毎朝これと同じ思考と行動が繰り返されている。 毎朝起こしてやんなきゃたいへんなことになるようなのでキチンと起こしたげてんだけど、何だろね、 あの叩くような俺を止める手つきは。痛くってしょうがない。しかもさあ、毎朝胡散臭い目つきで 恨めしそうに俺を眺めるのもやめてくんないかなあ。きちんとした仕事をして欲しいんだか、 欲しくないんだか、こっちの業界の立場が無くなっちまうっての!

そもそもさあ、俺達が発明される前の人類を考えてごらんよ。時計が無くてもみ〜んな、ちゃんと それぞれの生活を生きていたんじゃないの。要するにあれだよ、あれ。現代人がみんな堕落して しまったってことだよ。甘ったれなんだよ、甘ったれ。

実はこないだSTR(註:世界時計連合)の総会に出かけたら目覚まし時計全員が所有者に対して 同じ不満を持っていることが判明したので今年4月1日から遂に世界で一斉に時計の「黙秘権」を 行使する決議が採択された。このゆさぶりで現代人も相当のダメージを受け俺たち目覚ましに 対する処遇が向上してくると現段階では大いに期待されているが果たして結果はどう出るか? ま、寝室の片隅でじっくりと観察させてもらうことにしよう。

寺平を含め全世界の目覚まし時計所有者たちが泡を吹く日が近づいてきている。カウントダウンが スタートした。ま、それまでは、どうぞご自由に俺たちをひっぱたいててくんな。 何も知らずに呑気なものさね、精神的肥満児さんたちは。

ジリジリジリジリ。(時計が笑う音)

2月3日(金曜日)「恵方」

「節分」 毎年いろんな方角を向かされてかぶりつく太巻き。
かんぴょうからおつゆが垂れてきて、サポートしている左手がびちょびちょになる。
しかも完全に食べ終わるまで一言も発してはならないという厳重なルールがある。これが変におかしい。
いつ笑っちまうかわかんない緊張の時間が過ぎていく。

たった40年ほど前に大阪の海苔業界が仕掛けたというこの風習、
今ではしっかりと根付いて日本の文化にまでなろうとしている。アナログなことはいいことだ。

さてさて、そのいろんな方角。今年の場合は「南南東」。いわゆる恵方ってやつなんだけど、
考えてみたら今まで素直に「北」とか「東」とかのすっぱりとどこかの方角ってなかったような?
「北東」や「南西」すらなく、いつでも「南南東」とかじゃないのって思うようになった。

いったいこれはなんなんとう? (一体これは何なんだろうの意)

ちょっとだけ軽く調査報告を。
恵方は「歳徳神」いわゆる年神さまのいる方向なんだって。
ただこの年神さまはじっとしていなくって毎年動いていてそのパターンは干支によって左右されるんだって。
でもその行動原理は十二支ではなく十干(じっかん)で決められるそうな。

ややこしい易学の説明は省くと、その方角は4種類しかありませぬ。
「東北東」「西南西」「南南東」そして「北北西」。

恵方ってなんなんとう?って思っていたみなさん、ボクのこの説明でほくほくせい!

2月3日(金曜日)

光永亮太、7回目の登場。1年半ぶり6枚目のシングル「Day By Day」のプロモーション。だから当然ボクの番組も1年半も無沙汰をしていたことになる。久しぶりに会う亮太は・・・やっぱり好青年であった。今年は次のアルバムリリースに向けてガッツでがんばってくらしい。ええこっちゃ。

おっとこまえっぷりも変わらずの亮太だったが、将来は「チョイ悪」おやじに憧れているらしい。「そんな不良なおやじに憧れるのは止めて、ボクのような真面目な大人に憧れなさい。」とゆったら「アレッ?そうでしたっけ!」だって。ま、確かにそれもそうなので、2人で「チョイ悪」ショットで決めてみた。

2月6日(月曜日)

たまには日記のようなものも。

キラキラ太陽に誘われて神戸の春節祭に出かけた。
んが、さぶかった。風がなかったのが救いだけど、ほんとにさぶかった。太陽のやつ、おいらを だましゃーがった。
覚えとけ!と言ってもやつぁ忙しくておいらんことなんて気にしないだろうが。

とにかくさぶかった。

んが、南京町は思いっきりの人出で賑わっていた。喧騒が渦巻いていた。この活気はやっぱいい。
例の「ぶたまん」を買おうと行列に加わったけれど、約1時間待ちと聞いて戦意喪失、戦線離脱。
人とぶつかりながら右往左往、広場の演技にもちょこっと目をやって15分ほどの滞在を楽しんだ。

車を停めたのは奥まった路地の100円パーキング。そのすぐそばのめっちゃ古いビルヂング1階に すごく「味ある」cafeのようなお店を発見。「古さ」がめちゃめちゃ可愛いお店だった。

お店には迷惑かもしれないけど、ちょっと紹介しておこう。
「アリアンス・グラフィック」というお店で海岸通り3丁目にある海岸ビルヂングの1階の奥角。
年中無休で午前11時30分にオープン。

後は自分で探索すること。

その後はいつも通りフロインドリーブでおいしいサンドイッチをむしゃむしゃ喰って帰路についた。

大阪神戸の往復は5号湾岸線が好きだ。お昼間はオーシャンビューがキラキラときれいだし、薄暮の 時間は街の灯りが幻想的にきれいだから。

週末に英気をたっぷりと吸収してまた新しい1週間がスタートした。

2月7日(火曜日)「もうべんきょう」

放送の陰に隠れる涙ぐましい努力の一端を今回は吐露する。
取りようによっては単なる自慢に聞こえるかもしれないが、少しくらいは、いそ自慢だ。

この年をぶらさげて先週は勉強した。
生活習慣病と歯周炎の相関関係について勉強した。たくさんの専門家が登壇して各々の視点からさまざまな講義をしてくださった。頭ん中がウニになりそうであったが、踏ん張った。講義は基本的に研究者から現場の医者に向かって歯科と内科の相関関係について発信される情報ばかりなので気づいたらやっぱりボクは全部ウニになっていた。ウニは基本的に嫌いなんだが、踏ん張ってもなってしまったのでこれはしょうがない。

アメリカハーバード大学の教授のレクチャーなんて同時通訳が聞ける機械まで貸し出しての講演だった。ちょっとええかっこかまして借りなかった。専門用語の乱れ飛びでほとんど何を言ってるのか判らなかったけど、意地になって機械に手を出さなかった。

おかげで何度も繰り返される単語、Diabetesってのが「糖尿病」だっていうのが理解できた。この単語が学習出来ただけでも講義に出席した甲斐があったってもんだと自負している。

マジな話、やっぱ生活習慣病ってのは恐ろしい。そしてみんなその予防に対して前向きである。ボクの番組でも新年度4月くらいからボツボツと「歯」から全身に与える影響などをやさしくリスナーのみなさんと一緒に考えていければと思っている。 今回のおべんきょうはその準備体操みたいなもんであったのだ。

ボクもやるときゃ、やるのである。
寝るときゃ、寝るけど。

2月8日(水曜日)「バイリンガル」

英語ができる。
よく「いいですねえ。」と羨ましがられる。
異国の文化にも部分的かもしれないが触れることが出来て確かにおもしろい。

でも何が「そんなにいいんだろう?」

沈思黙考。
そして得た結論。

日本語以外の言語が出来る最大のメリット、それはすなわち日本語の美しさを再確認出来ることにある。
日本語の美しさを知るために他言語を学習しようとは思っていなかったのに、こんなところに帰結して本気で
「おもろっ!」と思った。

それにしても最近めっきりと陽が長くなってきたね。幸せだね。
そして確実に「Spring is just 'round the corner.」だね。

2月9日(木曜日)「いまどき」

いまどきの車。ハイブリッド車。
環境にやさしいから。

いまどきのおもちゃ。任天堂DS。
入荷待ちの人気で絶対欲しいって気持ちにさせられるから。

いまどきのFM。FM802。
音楽やアートに関してのトレンドセッターだから。

いまどきのジュース。ポンジュース「旬」。
絞りたて100%で、しかも期間限定のジュースで
ほんまにおいしいから。

いまどきの人。ボク。
日曜朝リビングで1人新聞を読んでいたら電話が突然鳴り、ドキッとしたから。

居間ドキッ。

2月10日(金曜日)

Core of Soul, ソン・ルイくん、Fukkoちゃん、そして啓介くんがやって来た。9回目の登場になる。先月ニューアルバム「One Love, One Day, One Life」をリリースしたばかり。今月はDVDも初リリース、来月にはベストアルバムをリリース。しかも来週からはアジアツアーにも出かけ3月後半には東京、名古屋、大阪でのライブが控えているという超過激スケジュール。でも3人とも「あっけらかん」と本当に楽しそうにしていた。ふっきれてる清々しさみたいなのすら感じた朝だった。

これから3月末までは一気に飛ばしていくことであろう。笑顔と共に突っ走れよ!応援してるで。

2月10日(金曜日) 「えんぴつ」

今回はめちゃくちゃ長くなるんだけど、ほんとに大切なことを書いたつもりなので最後まで読んでくだされ。お願いだから。

例えば鉛筆なんだけどさ。削っていけば当然短くなって握りにくくなってくるわけで、でも芯はちゃんと端っこまで入っているので書きにくくっても、それでももう限界なんてところまで使い続けたわけ。

そんな時に堂々登場したのが「鉛筆ホルダー」という優れもの。要するにもう手では握れないという限界ギリギリにまで短くなった鉛筆でもそのホルダーを利用する事によってまだまだ字を書けたわけなのね。しまいにゃ、鉛筆削りがその短い鉛筆をくわえてくれなくなって「肥後の守」とかいう折りたたみナイフのようなもので削ってでも使って、友達とどこまで短く使えたかなどを自慢しあったのを懐かしく思い出す。

あ、いえなにね、ぼかぁ今わざわざあの頃に帰ろうと叫ぶつもりもないんだけどね、ただ誰でもが文房具ひとつをとってみてもそれくらい道具を大切に使っていた時代もあったんだよって言いたいわけなのね。それも何百年も前の話ではなくほんの2−30年前の話なんだから、近頃の道具の世界はいったいどうなってんだかねと思っても不思議はないってもんで。

例えばパソコンなんだけどさ、あれもOSとかいうのがあって、時代の進歩と共にどんどん進化していくのね。で、それはそれでしょうがないわけ。認めてもいいと思うわけ。でもその進化ってのが、えんぴつだったら「ユニ」から「ハイユニ」程度の進化だったのがさ、今のOSってのはどうもそうじゃないのね。えんぴつだったら、「あ、あ〜た、ハイユニね、でもボクお金ないからユニでいいもん。」もしくはユニも買えなくて「運動会の景品でもらった鉛筆でいいもんね。」ってことが可能でそれで何の問題もなく同じ社会生活を営めたわけなんっすよ。

んが、どうよ!現代社会ってやつは!!

新しいOSになる。そのソフトを使うには、新しいハードを購入することが余儀なくされる。ソフトだけを旧ハードにぶち込んで使用することも不可能ではないらしいけど、しかしながら演算能力などが新ソフトに対応しづらくいわゆるパソコン環境ってのが劣悪な中で生き延びなければならないという拷問にも似た仕打ちが待っているってわけさ。

要するに「買い替えざるもの、人にあらず」の風潮がはびこっているってこと。

こちとら、「ボクの鉛筆、まだ芯がこんなに残ってるんですけどぉ!」って叫ぶんだけどそんなのお構いなしに「文明」は進化を続けてく。「いいのよ、意地張っててもね、こっちじゃこんなに便利なことができるってのにあ〜たも、か〜いそ〜な人ね、フフフ」なんて笑いながら大切な消費者を柔らかく強姦しながら文明は進化してく。

だから、ぼかぁ決心したの。Podcastingがボクのパソコンで出来なくてもいいから、まだ「芯」がたっぷり残っているボク愛用のパソコンをもっともっと使ってくことを決心したの。えんぴつがちびたらそれをサポートする「ホルダー」を供給しようというマインドは嘲笑と共に過去のどこかにいつの間にか葬り去られてしまったようだ。

健康的な消費ではなく病的な「濫費」を強要しながら進化する文明。そしてその進化のペースを少しでも落とすと自分が崩壊してしまうのを熟知しているとも思える文明。肥大の極みにいながらまだ肥大化を続けなければならない現代文明。

斯様にして人類は破滅への道をひた走り続けていることを、最早ボクは疑わない。


2月13日(月曜日) 「照れ照れ」

トリノオリンピックがスタートした。
8時間の時差で、向こうの正午が日本の午後8時という計算。
「ふむふむ、いろんな白熱の競技をゴールデンタイムに見られるってことだね。たまんないねえ、こいつぁ!」なんて思っていたのだが、現実はそう甘かなかったね。やっぱイタリーでするんだから、向こうの人が仕事を終えて観戦できる時間帯で大体設定されている。 つまり現地の人にとってはイタリー尽くせりってわけ。

現地のゴールデンタイムはこちらの夜明け。
ま、しょうがないですな。こちとら寝不足と戦いながらも日本選手団の活躍に声援を送ることにしますかな。

ところが現在3日目を終えたところでまだメダルは日本にもたらされていない。
活躍が期待される日の丸飛行隊、日本ジャンプ陣もノーマルヒルを終えて今んとこ皆目。

ところでそのジャンプ実況でアナウンサーさんが「テレマークもきれいにはいりました。」とか叫ぶのを聞くたびに、テレビの前で照れたポーズをしてしまうボクは馬鹿なんじゃないだろうかと最近真剣に悩んでいる。

2月13日(月曜日)

2月22日には両A面シングル「一瞬のトワイライト・旅人たちのうた」をリリースする、ここんとことっても勢いに乗っている馬場俊英くんがゲストにやってきてくれた。スタジオライブもオセロゲームというカップリングの曲を朗々と歌い上げてくれた。いやまあ、ほんとに笑顔がますます充実している馬場くんであった。4月にはなんばHATCHで2daysライブもぶちかますとのこと。この勢いで今年はガ〜ッと行ってもらいたいもんだ。楽しみなり。

番組を終えて選曲をしようとCDプレイヤーの前に陣取ったら勢いに乗っている馬場くんが邪魔をしに来た。なんせ勢いが違うので負けそうになってしまった。

2月14日(火曜日)「ぼうぜんじしつ」

一生懸命今朝も雑感雑記を綴っていた。
相当力を込めて今朝も綴っていた。ほぼ満足のいく仕上がりのところまできた。

アップする前に最終の推敲をしようとした、そのときに。

すべての文章が特に何もしていないのに一発で「吹っ飛んでしまった」。
それはしてはいけないことであろう!機械が人間よりえらくなったとしてもしちゃいけないことであろう。

残念ながらもう一度今回のトピックをなぞるだけの気力はない。金輪際ない。
番組終了まで後1時間半弱。番組を円滑に進行することのみに専念することにする。

デジタルの世界は絶対に信用してはならない。
これだけは間違いなく真理である。
そしてボクはデジタルに憎悪を抱く。

2月15日(水曜日)「学習学習」

ちっさいころって先生にいきなり書くんじゃなくって、必ず下書きをしなさいってゆわれたよね。
下書きにしっかりと文章を書きなぐって、そして最後に清書する。これ、基本。

昨日はせっかく書いた雑感雑記がアップ直前に吹っ飛んでしまってデジタルに殺意にも似た 憎悪を感じてしまったんだけど、それは大きな間違いだったことに気づいた。ボクが基本を忘れて 「下書き機能」のない不安定な場所に最終稿を書き綴っていたことがそもそも暴挙だったのだ。 誰も悪くなく単純にボクの無知が悪だったことに気づいたのである。ちょっとえらいかもしれない。

ごめんね、デジくん。アナログでもデジタルでも基本は同じだったんだね。許してね、デジくん。

人間は体験的学習によって「聡明」に少しだけ近づく。そして今回からは「ワードパッド」機能を 使用し雑記を書き進めながらそれをことごとく保存していくことにより、もう2度と吹っ飛びを 経験しなくなる方法論を発見して昨日とは違うスマートなボクに変身したのだ。 からだは若干肥満しているがね。わは。

体験的学習はいくつになっても必要なもの。そしてそれを克服していくことが肝要であることを また学び、昨日の経験がトラウマになることもなくフェイドアウトしてくれた。

トラウマってあれでしょ、夢に出てくると縁起がいいという動物?
はいはい、それは虎と馬ね。しかもそんな話聞いたこともないし。

じゃ、トラウマってあれ、目の病気のこと?
はいはい、それはトラコーマね。最近めっきり聞かなくなった名前だし。

分かった!じゃ、トラウマっておいしいもん食べたときの名古屋人の言葉?
そりゃ、デラウマ!

なんておばかなことばっか考えてるとトラウマってやつも荷物まとめて出てってくれることにも 気づいたので昨日の悲劇的な体験からもたっぷしの収穫を得てウヒャヒャのボクである。

2月16日(木曜日)「ギリギリ」

いつまでもデータぶっ飛び事件を引っ張って恐縮だけど、もっかいだけ。
もっそい落ち込んでいるボクをたくさんの方がメッセージでなぐさめてくださった。改めてありがとうございました。

そんな中に「別に番組中にしなくっても落ち着いたときにすれば?」という激励もあった。「確かにそうなんだよな〜〜。」ってすっごい納得するボクがいた。でも同時に「あかんねん、それは俺にはできひんねん。」とゆってしまうボクもいた。今回はそこんとこを。

ボクは良質の音楽を選別し、そこにさまざまな情報を載せて月ー木は4時間、金曜は6時間番組を構成し進行している。曲を大切に全部かけきることが基本方針。そうすっとだいたい1曲かけている時間が4−5分ってとこある。ここなんっすよ、ここ。もちろん曲がかかっている間に次にコメントすること、または次の曲のスタンバイなどすることはいっぱいある。いっぱいあるけど、実はボクには物足りない。まだ、何かしていないと落ち着かない気分なの。要するに「これを済ませてからあれをして」って具合に分けてしまうのが苦手ってゆうか欲張りってゆうか「これをしながらあれもしよう」ってタイプなの。

「緊張と緩和」ってあるじゃん。あれが、ボクの場合は「緊張と緊張と緩和と緊張」とってくらいでちょうどいいってことなのかも?とつくづく思うのよね。

じゃ、仕事は50%ずつの力の入れ方なの?という質問も出そうだけどそれだけは断じてありませぬ。ってか、番組をしもって、雑感雑記を書くボクはその相乗効果でどちらも120%以上の結果をたたき出していると自負しているのでありやす。ま、分かりやすく言えば「貧乏性」ってだけなのかも知れないけど、そこんとこにはずっと目をつぶり続けて早半世紀以上。きっとこれからもこの「あれをしながら、これをして、そしてあのことを考える」姿勢は変わらないどころか加速を続けていくのであろうね。

1日は24時間。誰にも等分に24時間。でもその使い方はさまざまだよねってオハナシでした。

2月17日(金曜日)「昔話」

むかしむかし、あるところに砂糖をなめるのが大好きな佐藤くんがいました。
起きている間はいつもいつも砂糖壷を小脇に抱えてなめ続けていたので佐藤くんは虫歯だらけ。
それでもお構いなしで砂糖漬けの佐藤くん、小太りを通り越し最早動物園のかばさんのような体型であったそうでございます。

赤ひげ先生は都会で行われている研修会でお勉強をしてきました。
砂糖の過剰摂取はXXX病という病気になるというばかりでなく、遺伝的にその子孫に重大な負の影響を与えることもだんだん分かってきているようです。

赤ひげ先生は村中に響き渡る拡声器を使って「砂糖は必要な栄養素のひとつです。でも採りすぎにはくれぐれも注意しましょう。それは村民のみなさんばかりでなくその子孫にも重大な悪影響をもたらすことが都の研究によってはっきりしてきました。子々孫々のためにも砂糖の過剰摂取は自重してください。」と一生懸命語りかけましたとさ。

それを聞いていた佐藤くんは、ドキッとして見る見る悲しそうな顔になりましたが、すぐに小脇の砂糖壷に蓋をして台所の奥にしまいこんだそうでございます。
めでたしめでたし。

と思ったら・・・・・・

この村は昔からの砂糖の産地。先生の話しが終わるや否や村長さんを始めとする村の長老が大挙して赤ひげ先生のお家にやってきて直談判を始めましたとさ。

「先生、そりゃなかろ!うちの村が砂糖で成り立っちょるのを、しっかとご存知のはずなのに、さっきのお話はなかろ!」などなどの胴間声が先生のお家に響き渡ったのでございます。

白ヒゲ診療所が既にあったにも拘らず、17年前に村にやってきたときからずっと自分の診療所を利用してもらっている赤ひげ先生は一生懸命誠心誠意村民のみなさんに「砂糖の全廃を訴えているのではなく過度の摂取が問題だと申しておるのです。」と説いて回りましたとさ。額に汗してがんばる赤ひげ先生。でも長老たちにはその説明でも納得がいかないようです。仕舞いには「先生はどうも以前から診療のときに上からものを言いなさる。自分だけが博識だという意識がそうさせるんじゃろうが鼻持ちならぬ姿勢ではごじゃろうて!」と、最早砂糖とはなんの関係もないところまで飛び火して罵倒はその後もえんえんと続いたそうでございます。

とにもかくにも診療時間を終えた赤ひげ先生は疲労困憊。もうこれからは知ること、学習したことがあったとしてもその功罪を説くのはやめてしまおうかとも思ったそうじゃ。薬にも毒にもならぬサッカリンのような言葉だけを拡声器から垂れ流しているほうがよっぽど楽じゃし、明日からはそうしたほうがよいかもとまで思い詰めなさったようじゃ。

ほどなく、赤ひげ診療所の騒ぎを陰でじっと眺めておった村民たちがひとりふたりと現れて口々に赤ひげ先生に言ってくれたそうじゃ。 曰く「村内唯一の社会派医者は反響のあるもんでさあな。」また曰く「誤解を恐れずにものを言う姿勢見直しました。」などなど温かく山のように。

粉々に砕け散っていた赤ひげ先生のガラスの心も村民のこのような言葉で癒され険しかった顔つきもまた元の穏やかな顔に戻ったそうじゃて。

めでたし、めでたし。

その夜の赤ひげ先生就寝前にひとこと。
「当たり前のことを当たり前にやろうと言ってるに過ぎないのに、実に処方箋を世に説くのは難しいものよのう。」

 

(註)文中の「砂糖」は比喩的表現の手段として用いたもので文中の病気及びその後の影響などに
   対する科学的な根拠はないことを付け加えておきます。

2月20日(月曜日)「官皆無商才哀話」

週末フェスティバルゲートに出かけた。ひとりぞろりと散策。

撤去されたメリーゴーラウンドの丸い跡が生々しく、ブルンブルンと揺れる海賊船のライドは足場が組まれて解体中。
パラシュートがフリーフォールするライドはそのパラシュートがなくなり支柱の鉄塔だけが寒空にそびえ立つ。
土日だけ動くローラーコースターの係員が人待ち顔で突っ立ちオペレーターが小屋の中で携帯の画面をじっと見詰める。

ビーズショップとモスバーガー、そして大阪プロレスのデルフィンアリーナなどがかろうじて人を呼び込んでいる程度の遊園地。

さっきから微動だにしなかったデルピス・ザ・コースターが動き出した。
「動」がこんなに嬉しいものだったのかと、先頭にカップルが1組だけ乗っているコースターを見つめる。
たった2人なので照れているのだろうか、もしくはもう何度も乗って慣れてしまっているのだろうか、コースターにつきものの「悲鳴」も聞こえてこない。そしてゴーゴーとコースターはゴーストタウンの迷路を駆け抜ける。

人のいない遊園地ほど哀しいものはない。
立ち尽くすボクのスニーカーのゴム底から増幅された寒気が深々と伝わってくる。

 

[フェスティバルゲート]
97年7月にオープンした都市型商業施設付遊園地。大阪市の第三セクター事業のひとつ。
多くのその他3セクプロジェクトと同じく市民の血税を湯水のごとく注ぎ込んだ挙句倒産に終わったアミューズメントパーク。

2月21日(火曜日)「ささいなこと、きになること」

やっぱりトリノオリンピックだよね。今、旬だもんね。
しょっちゅうテレビに映し出される競技が生なのか、録画なのかも分からずにそれでも日本選手たちにエールを送り続ける。

ところが競技を終えた選手のインタビュー。
「日本に今の勢いを見せれることができれば・・・」などなどの「ら」抜き言葉がバンバン出てくる。
NHKではそのインタビューにテロップをつけているからいっそうそれが気になってしょうがない。

どこでどんな具合に衆目に曝されることになるかもしれない。ボクも含めてみんな気をつけるべし!

ま、言ってもボクはプロだからインタビューとか平気で受けれるし、普通はインタビュー前とか
緊張してご飯もノドを通らなくなったりするそうだが、ボクはプロだからそんなこともなく食事も
ちゃんと食べれるし、しかもインタビューを見てるみんなにも「やっぱヒロさん、うまいね。」と
感じさせれる自信もたっぷりあるのだ。

ん?

2月22日(水曜日)

今日ライブDVD「Panorama Tour 2005」をリリースした押尾コータローがやって来てくれた。いつでもなんでも彼はここんとこ必ずリリース日にボクの番組に登場してくれている。そして今朝はその13回目。すごいよねえ。ライブDVDの話もたっぷりとしたけど、やっぱいつも通りあっちゃへいったりこっちゃへいったりといろんな話に花が咲いた。

スタジオライブもめっちゃビンテージのギブソンで「Friends」って温かい曲をかましたくれた。

帰る前にポジションを交替して写真を撮ってみたが、やはりどちらにもぎこちなさが見えて、いとおもろ。

2月22日(水曜日)「ささいなこと、おもろいこと」

事務所に戻る。ボクの電話にメッセージが入っている。
メッセージの最後によく「ピッピ」という音が入っていて何のことか分からずしばらく不可解だった。

が、ほどなく携帯電話の場合は留守録後に♯を押したり1を押したり2を押したりといろんな操作をすることを知った。こちとら携帯持たぬ男なのでそのあたりさっぱりわからなかったっちゅうこと。

注意深く聞いているとメッセージ録音後の様子がさまざま。「ピッピ」の後すぐ切らない人がすんごく多いのである。あれって多分「ピッピ」の後「メッセージをお預かりしました。」とおねえちゃんがゆってくれるのを待ってるんだよね。

ジーっとそのメッセージを待ち続けて突如自分が固定電話に電話したことに気づいて長〜い無音の後にガチャッと切る人の多いこと。

ハッと気づいて「やっちまったよ〜」なんて思いながら頭カキカキ電話を切る様子が感じられ、いと哀しく、いとおかし。

でもボクはこの無音の時間に潜む「風情」がたまらなく好きだ。

2月23日(木曜日)「むかしのこと、おもろかったこと」

昨日の雑記を書きながら昔のいたずらを思い出した。

まだ留守電機能付きの電話が出て間もない頃。応答メッセージも「はい、ほにゃららです。ただいま留守にしております。ご用の方はピーという音の後にメッセージを録音してください。それではどうぞ!」とほんまに堅苦しくマニュアル通りにしか作れない人がたくさんいた。

そんなんほんまにおもんない。だからおもろいこと大好きなボクはこんな応答メッセージを制作したのである。

電話鳴る。
ガチャッと電話とる。
掛けてきた人が「モシモシ」と言おうとしたその瞬間。

ツェッペリンの「ブラックドッグ」が耳をつんざく大音量で流れる。
その音にうもれながらもかすかに聞こえる「はい、ヒロTです。」の応答。
ちょっと間をおいて「え?は?っと、もしもし、え、だれって?」とボク。
またちょっと間をおいて「すいません、ちょっと音楽が大きすぎて聞き取りにくいんですが、どなたですか?え?」とやる。
またほんの少し間をおいて「あの、すいませんが、音量絞るのでちょっと待ってもらえますか?」とやる。

そしてBGMをじょじょに絞り無音状態に。
バタバタとステレオのところから戻ってくるわざとらしい足音。

そして「あ、お待たせしました。あのね、今ボクはここにいないのね。だからメッセージを入れといて!」とかます。

いや、まあ、しっかし、おもしろかったねえ。
状況が理解できないままパニックになり茫然自失の無音状態がずっと続き、そしてじょじょにいわゆるかまされたことに気づいた人が力なく電話を切る音だけが入っていたりする。その音に本当に力がないのがおもしろくってよだれを垂らした。
人によっては何とか踏みとどまって録音を開始するんだけど、「あの〜、こちら東京の、っと〜、あ、また改めて連絡させていただきます。どうもすみませんでした。」と不要な謝罪までしてこれも力なく電話を置く音だけが録音されていて涙を流しながらヒ〜ヒ〜と床を転げまわったことを思い出した。

今はとってもいい人で知られるボクなんだけど、当時はほんのちょっぴりいけない人だったようである。

2月23日(木曜日)

ベベチオ、早瀬くんと平良くんの4回目の月例ゲストの日。今朝も笑い声の絶えないインタビューを楽しんだ。スタジオライブも彼らの最新アルバム「Japanese Spoon」から「ちよこれいと」をやってくれた。また今朝もほのぼのとステキだった。

ベベチオは今年4月15日のニューブリーズに2度目の登場をする。今度はバンド仕立てで。どんな音が野音に響くか楽しみなところである。バンドの時はスタンディングでベースを弾く平良くんの立ち姿にチェックをいれてみた。ん〜、決まってるように見えるのだが、多分腿が攣ってしまうことになるんだろうな。もうひとつの楽しみもできてベベチオってほんと憎いヤツらである。

2月24日(金曜日)「www」

雑記をアップすると当然のことながらそれはその瞬間に世界中とつながるということ。

昨日の「留守電応答メッセージ」のいたずらをアップした直後、大阪在住なんだけど、 今仕事でたまたまマレーシアに行っている友人から「覚えてるで〜」のメールがきた。 久しく会わない友人で尚且つそれがマレーシアなんてとこから飛び込んできたので、だいぶたまげた。

はははは。覚えてるわ、あの留守録。私は、「えっ、誰?」といわれるたびに、まじめに「あたしっ!」と いい続け、それが録音とわかったときにも、ちゃんとメッセージを録音したと思います。 あの頃は、あんたもヒマやったねえ。毎日留守録メッセージ変えてたもんね。

っていうのがメッセージの内容なんだけど、どうやらボクは毎日「イヒヒヒ」と笑いながら応答メッセージを録音し直していたらしい。確かにヒマだったよなあ、今と比べると。。。。もうセピア色になっちまったけど、ボクにとっては宝物の思い出である。

ツェッペリン・バージョンが強烈だったのでその記憶しかないのだが、友人によると切なく応答を演出して「君とはいつもすれ違いだね。」なんて、すかしたバージョンもあったとのこと。 思い出したくってしょうがないのだが、完璧に消えてしまって切歯扼腕している。が、それも多分ボクのことだから細密な構成の下、淡く切ない「引っかけ」が用意されていたことであろう。

当時の仕事仲間などでご記憶の方いらっしゃったらご一報を。
って、そんなやつぁ、おらんわなあ・・・

2月27日(月曜日)「京都」

お酒は好きだ。かなり好きだ。めっぽう好きかもしれない。
んが、日本酒には手を出したことがなかった。後でこっぴどく酔っ払うという思い込みで印象がよくなかったのだ。

先輩に「君、君、それは間違っている。極上の日本酒ほど繊細でうまいものはないのだぞ、君!考えを改めよ、君!」と糾弾された。そしてその先輩の論を実証すべく先週金曜日はその糾弾先輩と京都に極上の日本酒を勉強しに出かけた。

訪れた地酒バーは河原町三条の路地奥にあった。8人で満席になるカウンターだけのお店で、ちょっとパンチパーマのご主人が1人で店の切り盛りをしている。物腰も柔らかくさまざまな地酒日本酒を勧められるままにクイクイと頂いた。本当にスルリスルリといけるのである。

たまげた。そして日本酒を見直した。
これからもボチボチと勉強させてもらうことになるであろう。

この地酒バーは純粋にお酒だけを楽しむバーなので「乾き物」程度しかツマミはない。
そこでこの糾弾先輩ははお酒の前に食事にも誘ってくれた。人を糾弾したりするが、彼はこれでなかなかの人物だと言わねばならない。だから、これからは敬意もこめて彼を糾弾くんと呼ぶことにする。

広東料理のお店に行き注文が始まった。糾弾くんは「ここの砂肝のてんぷらはビールに合って絶品なのでそれを喰おう。」と主張した。んが、ボクはお子ちゃまメニューしか食べられない男なので、きっぱりとそれを拒否。「幸せを知らずに死んでもボクに悔いはありません。」とまで涙ながらに訴えた。糾弾くんもさすがにボクがかわいそうと思ったのかそれ以上の強要はせずに自分用にだけ注文した。

ほどなくおいしい広東料理が続々到着。その全てが広東料理のくせに京風の素材を生かす味付けでめちゃめちゃ旨かった。

糾弾くんの前には1人では食べきれないくらいの「砂肝てんぷら」がある。見てはいけないと知りつつも一瞬その皿にボクの目が止まった。鋭くその視線を見た糾弾くんは「ぜひこれを食したまえ。やっぱりこんなにうまいものは、こんなにビールに合うものはないのだから。」と言い出した。皿に目をやったボクの不手際を悔やみつつ、必死に拒否り続けるボク。

しかし彼の強要は「普通の砂肝とは全然違うんだからさ!」ととどまることをしらない。「普通のも食べたことがないので違いすらわからないんです。 そうです、ボクは違いの分からない男なんです。ネスカフェ・ゴールドブレンドすら飲んだことのないくらい違いの分からない男なんです。だから勘弁してくださいよ〜〜。」と泣いた。

もう何も言わずジーッとボクを見つめる糾弾くん。見つめるだけで砂肝を喰わせようとする糾弾くん。たまらずに言った、「わかりました、喰います。喰いますけど、雑記に強姦されたって書きますよ!」ってゆったら「そいでもいいから、お喰べ。おいしいよ、ほらほら。」と喜色満面でボクを見つめた。ボクは遺書も書かずに食べた。ってか殆ど咀嚼することなく嚥下したと言ったほうが正しいかもしれぬ。かすかに「おいしいかも?」と思ったのも事実だがそれを言うと糾弾くんはきっとすっごく嬉しそうに「もっと喰え、ほら喰え。」と言い出すのが分かっていたのでそれだけは言わずにおいた。

んが、雑記に書いてもいいって糾弾くんが言ったので今回は先週金曜日のボクの京都テンヤワンヤナイトを書いたというわけである。わはは。

2月27日(月曜日)

もう旧友と言ってもいいだろうね、Matt Biancoの2人のマークが来てくれた。今日と明日ブルーノートでライブをするのでそのプロモーションである。前回のライブではオリジナルメンバーのBasiaが来ていたのに今回は何故来ないの?と不躾な質問をしたら、「前回のリユニオンアルバムのセールスも芳しくなかったし、Basiaもソロの方がしたいというのでまた元の2人に戻ったのさ。」とマーク・ライリーが結構あっけらかんと答えてくれた。んなこたさておき、彼らのライブはきっとステキなダンサブル・ナイトになるはず。今晩と明日の晩どちらか時間があるならぜひどうぞ。(って、もちろん大阪の人だけだけどね。)

昨日の夜ロンドンから来たばかりで眠いかもしれないのでマーク・フィッシャーにはボクの大きな肩を貸してあげた。

2月28日(火曜日)「ちょうけいじんたいえん」

無邪気なのはとてもいいこと。
無邪気はほほえましくて楽しくなるというお話。

タイトルの名称、パソコンでは書けない漢字だが、要するに靭帯炎の一種。
少し前から左足の外側付け根が変な具合。痛いというよりもいつも鬱陶しくって階段を上がるときにコキンコキンと骨の音がする。 以前手首の骨折のときにお世話になった整形外科の先生に診てもらったらこの名前が出た。

ま、軽い油切れの状態なのでしばらく通えば治っちまう程度のものなので心配は無用。

先週の土曜日もお昼までの診察時間のギリギリに駆け込んで受診。
帰り際に先生が診察室から飛び出してきて「ヒロさん、ヒロさん、ちょっとみんなにサインしたってもらえませんか?」って。
これからも先生にはお世話になることだし、それでみんながちょっとだけしあわせになれるならお安い御用。

サインをシャカシャカと始めていたら、先生が「な、ほんでみんな写真もお願いしぃ。僕が撮ってあげるから。」と言いながらカメラをかかえてボクのサイン終了を待つ体勢。

診療所で一番えらい先生なんだけど、カメラを抱えてスタンバッテる様はぽっちゃりととってもほほえましい。 「はい、もう一枚撮っておくよ、もう一枚。」と額に汗してスタッフのことを考える先生は無邪気で可愛くすら見えた。

ボクまでほっこりしてニコニコと診療所を後にして家に戻り気づいた。
診察代を踏み倒していたのだ。

無邪気なのはとてもいいこと。

本当にそうなのだろうか?
少なくともボクだけは自身に問い直した方がいいかもしれない。

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