HIRO T'S DIARY
● 12月の日記 ●
12月1日(木曜日)

師走だぜ。2005年もあと一月。ボクの事務所も入り口のやまぼうしの木に電飾がついた。エントランスホールもクリスマスの飾り付けをして年の瀬ムードが一気に加速してきた。

夜明けの事務所に到着したとき、あまりにも灯りが可愛く温かくひとりぽっちのボクを迎えてくれたのでパチリと激写してしまった。

今年もあと少し。大きな事件もなく時間が過ぎていきますように。

12月1日(木曜日)「イ〜〜〜エッス!」

「なくて七癖」と昔から申しますが、人は気づかぬところに染みついてしまった癖ってのがあるようで・・

ラジオのお仕事を相当長くされている寺平さんってDJさんが昨夜大阪城ホールでの Act Against Aids のコンサートで司会をされたそうな。 そもそもDJってお仕事の人は相当に大仰な物言いをするものであるらしく、 この夜も寺平さんステージでアーティストを呼び込んだりする折々に大きな胴間声で 「イ〜〜〜〜エッス!」と華々しく叫ばれたようでござる。

とにかく機会があれば「イ〜エッス!」と寺平さんは反復されたようで、それを客席で眺めていたお客さんもそこかしこで小さな声で「ィ〜〜ェッス」と真似っこをされてクスクスされていたそうな。

知らぬは本人ばかりなり。
「なくて七癖」。はい、どうやらお後がよろしいようで。

12月2日(金曜日)「復活」

普段は午後9時には確実に夢の世界にいる。
30日はAAAのライブがあったので就寝が午前零時を回っていて 昨日は2時間半の睡眠だけで、番組に臨んだ。

午後に事務所に帰ってきたら、そこで電池が切れた。
夕方に帰宅。午後7時に就寝。起床時間の午前3時までの8時間を熟睡した。

そして今朝、見事に完全復活。
睡眠の充電作用のすばらしさを実感した朝である。
不規則な時間を過ごした後はたっぷりの睡眠をとること。有効です。

12月5日(月曜日)「超豪華発色中!」

この秋も鼻がひん曲がるくらいの悪臭でボクを痛めつけてくれた御堂筋の銀杏が 今を盛りに発色している。

超一流の黄金色。
でもこの色を楽しめるのは本当に一瞬なんだろうなと思う。でもひょっとすると昨日の雹や霰でもう相当にやられてしまったかも?

とにかく見に行ってみましょう。今しか見ることの出来ない御堂筋の風景がそこにあります。 因みになにわ筋の銀杏は今年はどうやら早い時期に枝を落とす「散髪」をしていたようで 全く精彩がないのが残念です。

12月6日(火曜日)「身長」

こればっかりは個体差があるので如何ともしがたい数値である。

んが、やっぱ一言物申したい。

週末スタンディングライブに行き再確認した、やっぱ「背の高いやつは邪魔」ってことを。
それに気づいたダンス☆マンにボクはグラミーをあげたいくらいの気持ちになった。

ボクも背の高いやつの一員だからこそ、大声で叫ぶ。

「背の高いやつは後ろの人のこと考えろ!お前のいかり肩が、はねてる髪の毛が、ちょうど ステージの見たいところにかぶってるっちゅうねんっ!ゆらゆら揺れたらその度に 後ろのちょっと背の低い人はその揺れから逃げるためにもっと揺れないとあかんっちゅうねんっ! しかも君のその揺れのリズムも微妙にズレテルっちゅうねんっ!」

とにかくライブに行ったらちょっと後ろに気を遣おうじゃないか!
スタンディングのみならず、座りのライブでも座高が高い人は後ろに気を遣いませう!
うん、それがいい、やっぱ。

12月7日(水曜日)「服のゆるみ、気の緩み」

油断しちゃいけやせん。全ては一瞬にして起こります。体は精神よりもっとずっと怠け者。

この夏右足の向こう臑をこっぴどく怪我しました。そして5週間お風呂にはいれませんでした。
毎日病院で包帯を取り替えるので、裾をめくれないジーンズを止めて綿パンをはいていました。

ハッと気づいたらお腹周りに「お肉」がついていました。綿パンはジーンズよりゆるゆるです。
どうやら異空間からやった来た脂肪たちはそこに目を付けたようです。ヤツらの素早さったら!

気の緩みもダメだけど、お洋服も「締め上げ系」の方がどうやら脂肪エイリアンたちには 有効のようです。
締め上げましょう。

スーツパンツ>ジーンズ(除:腰バギ)>綿パン>ジャージー
(男スペックだけど、対脂肪貢献率を作表してみました。)

12月8日(木曜日)「初体験」

 


タバコと絶縁して約半年。

いいことづくめの毎日だが、押し寄せる「脂肪エイリアン」とだけは戦い続けている。

30秒ずつの筋トレと有酸素運動を3分間繰り返すサーキット・トレーニングがいいと聞いた。 早速開始してすぐ、30秒の有酸素運動、いわゆる駆け足をしているときに新発見!!!

揺れるのである。プニプニのお腹まわりの脂肪がユラユラ揺れるのである。人生初体験の揺れ。

ヒーヒーゼーゼー走りながら、「巨乳の女性がノーブラで走る感覚ってきっとこれなんだろうな!」 とボンヤリ思った。タバコとつきあっていたら金輪際体験出来なかったであろう異性の感覚まで 経験できて俺はしゃ〜せものだと涙した。

んが、この「しゃ〜せ」とは近いうちに訣別しないことにはえらいことになる。 残念っちゃ残念だが。がんばることにしよう。




12月9日(金曜日)「原作vs.映画」

小説から映像化されるものは多い。未知のストーリーだった場合、映画で存分以上に楽しめる。既読のストーリーの場合、自分の中に根付いたイメージとのギャップに違和感を感じることがよくある。

プチ自慢をお許し願おう。

実は今まで原書で読破した本がたったの3冊。これは自慢にはならないのだが、その全てが映画化されたとなるとちょっと自慢に値するのではないだろうか?

最初に読んだのが70年代の「SHOGUN」。電話帳の分厚さを読了したときには快哉を叫び。その後公開の映画でイメージのギャップに肩を落とした。

2冊目はご存じ「Harry Potter」。確か「賢者の石」という一番最初に映画化された原作でこんなによくできた映画でも本を読んでいるときにボクの頭の中に想像で創造された映像を超えることはなかった。

3冊目は「Memoirs of a Geisha」。3−4年前に読了したこの原作が「Sayuri」という映画になって明日封切り。

さて・・・・

12月12日(月曜日)「爆弾」

昨日起きたら左下奥歯に激痛が。かねてから抱えていた爆弾が遂に爆発したようだ。

でも日曜日。痛み止めでこらえようとしたが不可能だった。痛みは既に限界点を超えていた。
ずっと世話になっている仲良しの歯科医の先生に電話をして夕方特別に診てもらった。
神経を抜くしかもう手がないらしい。 痛いのは嫌いなので「痛くないようにしてね。」と
お願いしたら彼は静かに笑っていた。

治療は無事終了。神経が無くなってこれでボクもちょっぴり「無神経な男」に成り下がってしまった。
今後の対人関係には、より一層気をつけるようにしないといけないなと心から思った。(ん?)

12月13日(火曜日)「プチ整形」

ボクのおへそはかわいい丸のかたちをしていた。
昨日のお風呂上がり、姿見に映るおへそに何げなく目がいった。

「ん?俺ってへそ整形したっけ?」 丸から笑った目のような形に変化しているへそを見ながら思った。

そしてそれも腹脂肪のなせる技であることにすぐ気づいた。
「だめだ!これではだめだ!絞るのだ!空会費を払い続けているジムも復活だ!」全部を一瞬で叫んだ。

「来年の春に向かってWork Outだ!寺平!」

12月14日(水曜日)「防寒対策」

さっぶいさっぶい日が続く。
みなさんはコートなどもなく普通の冬服で外を歩かざるを得ないときに、神様がたった一カ所だけ防寒対策をしてよろしいと許可を出したとしたら、さて、寒さからどこをどう守ってあげますか?

早朝チャリンコで802に向かいつつボクは「真理」に到達しました。答えは「首」です。そう、マフマフです。
ここが温かいとさぶさの体感温度も和らぎます。

ボクはマフマフをしていませんが、ダウンジャケットにたっぷりのダウンが入っていて、またそのデザインがちょっと首をすくめると首がすっぽり包まれるようになっていて、首周りがとっても温かいのです。「いやあ、絶対手袋だわ!」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、手はハーハーしたりもしくはこすりあわせてやると若干の暖はとれます。でも首をエクソシストのようにグルグル回してもそう簡単には温まりません。だから1箇所だけしか防寒対策が許されない時には首周りを温めてあげようとボクは決心したのです。

本格化した冬の寒さの中、毎朝の出勤、通学のときに手袋しかされていない方、ぜひマフマフをしてみてください。あなたもきっと、のどをスリスリしてもらって目を細めている猫ちゃんになれますから。お試しあれ。

約300年前の今日、吉良邸に討ち入った赤穂義士さんたちもマフマフの効能を知っていればさぶくなかっただろうになあとふと思いました。

12月15日(木曜日)「ずぼら」

いや、まあ、しっかし、おらぶったまげただ。

パソコンの前に座ってインターネットを行き来してキーボードをパタパタやるだけでお買い物が出来るんだにゃあ。って、んなこた、前から知識としてはあったんだけど自分で発注してお届け時間まで指定したらほんとにその時間にピンポーンって配送便がやって来たときにゃ、おら、白目むいて泡吹いちゃったがや。街で探そうとしたら右往左往足を棒にしないと手に入らないものや、産地直送の珍味まで1億万画素くらいの超高性能カメラで撮った画像をつけて紹介されていたら、ホイホイとお買い物カゴに放り込みたくなっちまうだよ、おら。

いげねえ、いげねえ、んなことしてたらますますカラダがプクプクになっちまうだがや。
おじさんよ、街に出よう!自分の目で実物を見て触れて買い物をしよう!基本を忘れねえようにしよう!

12月16日(金曜日)「ぶったまげ、第二弾!」

デジタルの世界は「便利」であるってのはうすぼんやりと理解している程度のアナログ人間。
だから昨日のようにネットショッピングでも感激で胸が打ち震えてしまう。

年末押尾コータローと一緒になんばHatchで年忘れライブを行う。チケットも完売状況で、
今どうやって暴れようかと押尾っちと画策中。ボクも音楽人間なので当然押尾っちの音プラスαの音で
ライブは進行する。お互い忙しいので連絡はメールになる。しかもボクは譜面なんて書けない。

昨日自分でつま弾いたラフの音源をmp3に圧縮してメール添付して押尾っちに送るなんて今時の
電脳人間のようなことをしちまった。(ま、最先端電脳人間から見れば「それで?」ってなもんだろうが。)

送信した後、送信済みの添付mp3を再生してみたらやっぱり感激で腰が抜けた。

12月19日(月曜日)「SAYURI」

週末に映画「SAYURI」を見た。
舞の海さんが元本職のお相撲さんで出ていた。ビックリした。
工藤夕貴さんがネイティブではない役者陣の中で一番英語がうまかった。 ビックリした。

「日本」描写が全編にわたって微妙にずれているのだが、一大ファンタジーと捉えて 見れば映像は本当にきれいであるし、ずっと以前の異国人たちが見ていた「 フジヤ マ・ゲイシャ」の世界からは見事に脱却して監督をはじめとしたスタッフの「努力」 の後もしっかり感じられた。惜しむらくは日本・中国・韓国をひとまとめにしてオリ エンタルと解釈する感覚に繊細さが感じられないところであろうか。

ま、いずれにしてもとかく映画には批判的になりがちなボクが見終えて「ありかもね、 あり。」と思ったことは自分自身でも相当意外であった。原作とのギャップに肩を落とすこともなかったのが大きなポイントだと思う。
佳作である。時間があればぜひ。

12月20日(火曜日)「二十一世紀」

一流の食事を一流のレストランでとった。
食事の途中、隣席のカップルがプカプカとタバコをふかしはじめた。

喫煙者時代に積極的に感じることはなかったが、あの臭いたるや有吉佐和子さんの「複合汚染」を 上回る実害汚染の暴力であることを実感。2本目に手を伸ばした女子を眼力で制圧し抑止した。

一流の料理すらタバコの臭いで三流に成り下がってしまう。ボーイ長にレストランとしても 毅然とした禁煙体制をとるべきであると論をぶった。

世の中はずっと喫煙家に寛容でありすぎた。
そして人は最早それは二十世紀までの遺物と認識すべし。

12月21日(水曜日)

ニューシングル「キグルミマスター」を7日にリリースしたSOFFetのYoYoとGooFが4度目の登場をしてくれた。朝が早くてちょっぴりかわいそうだったけどちゃんとニコニコ楽しくインタビューができた。

2人ともダウンとかを着て「スキーヤーモードだね?」って言ったら「3級っす!」と自慢をしたので俺は「アスペンのインストラクターだぎゃ!」と傲慢に自慢を返した。来年1月6日のSKIJAM勝山からの放送の話をして「来い、来い!」と命令してしまった。さて、2人はやって来るのか?!

帰る前にインストラクターに続いてYoYo, GooFがきれいにシュプールを描いた・・・(つもりになった。)

12月21日(水曜日)「ノーベル賞」

こないだ歯の神経が爆発した。
知り合いの先生に手当てをしてもらって痛みは治まったがきっちりと治療せねばならない。

普通ならめちゃめちゃ何回もの治療になるところを彼はボクのためにいわゆる「チャッチャ」と 治療を進めてくれている。 昨日爆発以来2度目の治療に出かけた。来週、もっかい行けばそれで完了と段取りは最高!

でもあのタービンってヤツの音なんとかならんもんかねえ。
あれの「消音」機能を考えたら絶対ノーベル賞もんやし、ボクなんてそれに加えてその人に ノーベル飴100缶くらい平気であげちゃうねんけどなあ。

12月22日(木曜日)「的中!」

2日ほど前からうるさいくらい警告していた。
天気予報が「遂にやってくる」とわめいていた。
横殴りにやってくるとも言っていた。

昨夜から今朝にかけてその「冬の嵐」は確かにやってきた。

見事な的中に「うすら嗤い」が浮かんだ。
802までのチャリで横殴られながら顔に浮かべたうすら嗤いが凍り付いた。

12月22日(木曜日)

802の日記にも書いたくらい今朝の冬の嵐はcrazyだった。市内では積もらなかったけど、それでもめちゃめちゃな雪が降った。

毎月やって来てスタジオライブをやってくれる予定のベベチオにとって今日が今月の予定日。早瀬くんは悪天候を予想して家を6時に出てくれたのだが、やっぱ交通網のマヒにひっかかってしまって9時40分頃の到着になってしまった。でもなんとかスタジオライブ「12月の晴れた日」をやることが出来た。いいライブだった。そしてみんなホッとした。

「ほんとにおつかれさん!」と早瀬くんを慰めるボクの横では平良くんがウヒャウヒャ笑っていた。

12月23日(金曜日)祝日 「困惑、当惑、etc.」

道でさまざまなリアクションに出くわす。

典型的なのはボクを認知した瞬間、連れを突っつきながら口をついてでる「アッ!」である。
指差されながらの「アッ!」ってのもある。 ボク自身どう反応していいか分からず困惑してしまう。

この間802を終えて事務所に帰り道。
前から歩いてきた中年の普通の男性にごく自然に会釈された。あまりにも自然だったので、
ボクも普通に会釈を返したのだが、通り過ぎた後に「ん?知り合いだっけ?」と当惑。

先日東京に行った帰り、新大阪の改札を抜けてタクシー乗り場に向かうボクをドタンドタンと 追っかけてくる足音が。振り返るとちょいと秋葉系太めの男の子が心の中で「キターーーッ」と 叫びながら(たぶん)近寄ってくる。彼の手には立派なサイン色紙が。

サインをしながら、本当に疑問だったので「オレのこと、知ってんのんか?」と問い質してみると、 さすがに秋葉系だね、「・・・、あの、テレビで見たことあるから・・・。」と平然としている。
唖然としながら、確かに新大阪の改札は有名人のサインハントにはもってこいかも?と思った。
明日、あさってはお仕事もオフなのでボクも色紙を持って行きスタンバイしてみっかな。

12月26日(月曜日)「クリスマス・ウイークエンド」

2005年最終週が始まった。
その直前先週末はある意味今年の締めくくりでもあるクリスマス・ウイークエンドであった。

ボクもみんなのチャラチャラに負けじと街におっとり刀で繰り出した。
そして遂に生まれて初めて「鶴橋」の市場街を攻めたのである。
スケールのでかさ、通路の狭さ、人々の活気、全てに驚愕しながらニコニコと「迷路」を彷徨った。

基本的には鉄火丼などマグロの店なのにオムライスも食べられる店を探す旅であったのだが、 うろうろを本当に楽しんでしまい市場に入って1時間半後にその店を見つけた時には 「本日売り切れごめん」状態になっていた。ちょっとうろうろを楽しみすぎたかと泣いた。 お店の前で相当泣いたら気持ちもスッキリしたので別のお店でユッケと冷麺(小)を喰った。

爪楊枝でシーハシーハしながら、「なんてロマンチックなクリスマスなんだろ」と思った。
そして今度来るときは絶対に鉄火丼とオムライスを両方喰ってやると固く決意した。わはは。

12月27日(火曜日)「荒唐夢稽」

どうやら海外に行く直前らしい。
町中での所用を済ますために与えられた車がジャンボジェット機。飛ぶのではなく走るのである。

路駐をして買い出しに。5分後に道路に出てきたらジャンボがレッカーされてなくなっていた。

「どないして?」と首を傾げたら目が覚めた。
でっかい夢であった。

12月28日(水曜日)「西洋コンプレックス」

例えば英会話とか始めたときに頭では理解も出来ているし、文法的にも間違っていない表現を 使って「おはなし」をするんだけど、どうも顔に卑屈な薄ら笑いが貼り付いている自分を感じて 情けなくなったりしたことありませんか?

技術・テクニックは合格ラインなんだけど、「表現力」が西洋人には叶わないと諦めモードに すぐ入ってしまうのが今までの日本人でした。

銀盤の上を軽やかに華麗に舞う日本女子フィギュア陣を見ていて「あ、もう彼女たちには おじさんやおばさんがずっと感じていた表現力における西洋コンプレックスは存在しないのね。」 と感慨を新たにさせてもらいました。

「国」そのものにはまだ甚だ疑問が残りますが、少なくともこれからの「日本人」は確実に 伸び伸びと自由闊達な世界人になっていくことでしょう。 そしていつか彼らが「日本」を地球スタンダードに持ち上げてくれることに大きな期待を抱きました。

12月29日(木曜日)「すし詰め」

折り詰めの寿司は隙間なくぎっしり並べられればられるほど、うまく見える。
その「ぎゅうぎゅう」の様をすし詰めと称して一般に狭い場所に人が溢れそうになっている 状態も
「すし詰め」と呼ぶようになったとボクの持つ語源の本に認められていた。

FM802の入っているビルはかなり大きな9階建てだ。
正午過ぎに8階のFM802からエレベーターで降りようとすると確実に各階止まりになる。
どんどん人が乗り込んできて息苦しくなった。定員を眺めてみたら「16名」とある。
でも乗っているのはまだ12人。ボク的にはもう充分すし詰めなんだが、語源的に
すし詰めになるにはまだ後4人ほど足りない。

「冬の着ぶくれって相当のもんだなあ。」と実感しながら天井をふと見上げると
ボク達を喰おうと箱の上から覗き込んでいる悪魔が舌なめずりをしながら
「後4人、後4人」と唱えていた。

12月30日(金曜日)

ボクとしては今年最後の放送日。なんと、阪神タイガース今岡誠選手がやって来てくれた。いやまあ、音楽業界人ならスイスイとインタビューしちまうボクだけど、異業種のプロを迎えると相当ミーハーになってしまう。でも多分今岡くんも野球の話ばっか聞かれているだろうから今朝は極力そのあたりを外してカジュアルトークをたっぷりと楽しんだ。リスナーのみなさんへのサインボールや色紙も書いてもらって来年の番組からのお年玉の準備にも協力してもらった。

年明け早々からまた来シーズンに向かって始動する今岡選手始め阪神タイガースにたくさんのエールを贈って今年を締めくくることにする。来年もきっとリーグ連続制覇、そして日本一へと活躍してくれることでしょう。がんばってください。

噂には聞いていたが、今岡くんはでっかかった。ま、それでもボクの方がちょっと大きい感じだったかな?って、これウソです。彼は185cm、ボクは182cmで3cmもボクの方がちっこいのです。だから右の写真が正解なのです。わはは。

12月30日(金曜日)「雑感雑然雑記」

お約束の言葉だけど、今年もアッと言う間に過ぎ去っていった。
カイト・ボーディングを始めたりタバコとすっぱり縁を切ったり大けがをしたりといろんなことが
個人的にもたくさん起こった年であるが、総体的に考えてやっぱり今年も「おもろい年」であった。

FM802のホームページ充実に伴って4月から始めた日記のようなもの。
正確には日記ではなく、ボクの雑感を雑然と綴る雑記なのだがこれには相当苦しめられたね。
「毎日必ず何かを書く!」なんて決めちまったもんだから毎日が青息吐息桃色吐息の連続なのだ。
最近やっと何とかペースを掴んだような気分になってきたけど、でもやっぱ来年もしんどいんやろなとぼんやり思う。

ネットには掲示板がいっぱいあってネットサーフしていたら時々ボクに関連する書き込みを見つけたりする。
その中についこの間ある人がボクが毎日更新している日記を愛読書にしてくれていて、且つ日々共感してます!
なんて書いてくれていた。これはマジ泣けてくるほど嬉しかったね。思わず会いに行こうかと思ったもの。

駄文でも楽しみにしていてくれる人がいる。
これを励みに2006年も「雑感雑記」を毎日更新していこうと固く決心した。

2006年もがんばっちまうもんね、ボク!

12月30日(金曜日)

2005年最後の一大イベントは押尾コータローと共にする「年忘れライブ」であった。いつもの押尾っちのライブともひと味変えるために、ボクも一緒に歌って演奏することになった。

でもその為には練習も当然必要なわけで12月22日にボクのスタジオに押尾っちに来てもらって2人でせっせと音合わせなどもしていたのだ。華やかな舞台の陰にはこのように血のにじむような努力が潜んでいるのであ〜る。とか、言いながら練習風景もニコニコと本当に楽しそうなんであるが・・・

本番直前、もう一度音合わせを。
ボクの楽屋でもひっそりこっそり最終練習を。

とまあ、そんな練習を終えたところに仲良しの絵描きさん、少路和伸画伯が楽屋を訪ねてくれた。「ヒロさん、だいじょうぶですか?」と聞く少路くんにボクは自信たっぷりにギターをかかげて「だいじょぶ!」と返した。腹が減っては戦が出来ぬなのでやっと楽屋で晩飯にありつこうとしたらパパラッチに写真を盗み撮られてしまった。

そしていよいよ「Oshio Kotaro One (K)night Standing Special with Hiro T.」が始まった。2部構成で第一部はいつもの通り押尾っちのステキなライブでスタートした。

第二部は客の入らぬボクのバー「T's Bar」でマスターのポテマスとぼやくところからスタートした。

ストリートならぬ会場からpickupされた美女4人。
そしてその前でライブを始めるお抱えギターマン。

しばらくしたらT's Barオーナーのボクまで参加してThe Beatles Medleyで10分くらい盛り上がった。Blackbird - 8 days a week - Rock 'n' Roll Music - Twist & Shout - La Bamba - Twist & Shout という流れでたっぷり汗をかいた。

その後、本日だけの無料招待の女子たちからの質問コーナーなども和気あいあいと続けられた。

ただボクの雇っているマスター・ポテマスは夜は9時には寝ないといけないので店じまいをすることにして後はお抱えのギターマンへお店を開放してあげた。


ボクたちが去った後のお店で1人練習を始める押尾コータロー。そして第二部は佳境に入っていった。

第二部も終わり、ライブはアンコールへと。最後の曲は The Brilliant Road 。お客さんと一緒に「ラララ」のハミングをするこの曲でボクも再びステージに呼び出されてみんなと一緒に歌った。んが、本当はメロディを覚えていないので先にみんなとやってから呼び出す予定だったのを押尾っちが忘れて一番にボクを呼んだからアワ喰った、慌てふためいた。でも何とかなった。よかった。そしてガッチリの握手と共にライブは無事終了。3時間強のライブだったが、みんな本当に楽しんでくれたようだ。

楽屋には「ええ声〜〜〜っ♪」のおかけんたさんも来ていたので少路くんも一緒に記念撮影。「チーズ」の代わりの「ええこえ〜〜〜っ」攻撃にはほんまに笑かされた。

その後会場から打ち上げ会場に移動した。みんなで思いっきりのカンパ〜〜〜イをして次の日確か午前5時くらいまでの打ち上げがスタートしたのである。下左の写真に写っている以外にもまだこの倍くらいはスタッフがいるのである。すごいもんである。打ち上げのメインメニューは「しゃぶしゃぶ」。自家製のゴマだれとポン酢たれはほんまに旨かった。ポテマス、ありがとう。
「しゃぶしゃぶ」を楽しもうとしたらどこから潜入したのか、またパパラッチに隠し撮りをされてしまった。やれやれ。
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